今月の法話


いろは歌

 

 子供の頃に覚えた「いろは歌」は、かな文字を一つも重ねないで、しかも仏教の心を深く伝えたものです。  

 

  「色は匂へど散りぬるを、わが世たれぞ常ならむ」

 

 美しく咲いた花はやがて散ってゆく、そのように私達の人生も世の中も変わってしまう、という無常感がしみじみと歌われています。

 

 最近もご門徒の方が急逝され、悲しい葬儀をお勤めいたしました。人生というものは分からないもので一寸先は闇のようであります。科学がいくら進んでも、人生は無常であるという道理は、永遠に変わらないのではないでしょうか。

 

 お釈迦様の説かれた仏教は、「あらゆるものは変わる」というところから始まりました。この無常の中にあって生きる道はどこにあるのでしょうか。  

 

  「有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず」

 

  「有為(うい)」とは、この世の色々な物への執着です。それを山に例え、そういう執着の山を越え ましょう、当てにならない幻のような暮らしに惑わされないでいきましょう、という意味です。

 

 大変に厳しい人生の見方です。当てにするなといっても、つい当てにするのが凡夫の私達です。そして、会えばいつまでもと願い、花咲けば散るのを悲しむのが私達の心ではないでしょうか。人生は無常だと、言葉の上では理解していても、いざ無常がこの自分の上に起こると、あきらめきれないのです。

 

 仏教で「あきらめる」とは「明らかに道理をみる」ということですが、私の迷い続ける心には、正しい道理が正しく見えないのです。

 そこで、大慈大悲の阿弥陀如来様は迷いのまま私を救うことを考えられたのです。南無阿弥陀仏の中に救いの願いを込め、迷う私を救おうと誓われたのであります。


新年のご挨拶

 

 新年おめでとうございます。

 いただいた年賀状の中に、素晴らしい言葉がありましたので、ひとつご紹介いたします。

 

  くりかえしをおそれ、くりかえしをよろこぶ。

 

・・・これだけです。

この短い対句に私はウーンと唸りながら、自分の一生を過去から未来にかけて思いを巡らせました。

 

 まず「くりかえしをおそれる」ですが、あなたは歳と共に1年間が速く過ぎ去ると感じませんか? 

それはなぜかと、私なりに推察してみるのですが、例えば、5歳の子供にとっての1年間は、自分が今まで体験したすべての時間の5分の1にも当たる長い時間です。しかも若い時は、毎日が新鮮な驚きの連続で、自分を充実させます。

 しかし、40歳の大人にとっての1年間は、体験した全時間の僅か40分の1にしかならないわけです。しかも、大人になると惰性で日を送り、「また明日がある」と空しく時を過ごしてしまうようになります。

 創造性のない「くりかえし」が始まったとたん、時間に弾みがつき、ますます加速され、速く過ぎてゆくのではないでしょうか。

 

 惰性に明け暮れて日々をおそれ、今年こそ何か 新しいことを加えてみてはいかがでしょう。

この2018年という年は、あなたの一生にとってただ1度の年であり、初めての年であるはずです。

 

 とはいうものの、くりかえしができるのは、また有り難いことでもあります。

今年の元日も昨年と同様に家族そろって、新年のご挨拶をすることできました。そのくりかえしの日常生活の中に、 しみじみとした喜びを噛みしめつつ・・・

 

「今年も何卒よろしくお願い申し上げます。」

 


『無常』なればこその感動

 

 紅葉の美しい季節となりました。山は緑一色から赤や黄色の彩りへと変化を見せています。今年も多くの人が行楽地へ出向いていることでしょう。

しかし、この鮮やかな彩りはつかの間の美しさ。様々に彩った葉は、いのち燃え尽きたように地面に舞い落ち、冬の到来を待つ。

 

 お釈迦さまは、このことを無常、「すべてのものは消滅変化を繰り返し、とどまることを知らない」と説かれています。

 紅葉が一年中あれば、これほど多くの人が訪れ、喜び、感動することはないでしょう。日々絶えず移り変わる季節の中のほんの一時、その時にしか出会うことのできないものだからこそ、私たちは感動するのです。紅葉の美しさに惹かれつつも、実は、無意識のうちにその奥にある無常感を感じ取っているのではないでしょうか。

 

 私たちが常日ごろ当たり前のように思っているもの。実は全て無常、常にあるとは限らない。

 私が今頂いているこの生命は無常です。

 私が愛している家族も無常です。

 私が頼りにしている友達も無常です。

 私が持っているお金も財産も無常です。

 私が今生きているこの瞬間も無常です。

 このことに気づかされることによって見えてくるものがたくさんあります。生命の尊さ、家族の温かさ、友達の有り難さ、物の有り難さ、時間の大切さ……。

 

 そして、無常の中に生きる私たちだからこそ、唯一、変わることなく、消えることのない阿弥陀如来の教えに出遇って欲しいというのがお釈迦様の願いであり、親鸞聖人の願いなのです。